創作(フィクション作品)
『 Pet (ペット) 』

私は産みの親を知らない。
産み落とされて間もなく、何処かの病院の新生児用ポストへ宛名のない郵便物として預けられ病院から施設へと転々と運ばれていった。
その頃の記憶はない。当たり前だけど。

私は様々な場所で開封され、梱包され。
使い古され末に荒んだ眼をした厄介な還付不能郵便となっていた。

キャサリンのもとにたどり着いたのは、そんな時。彼女はお世辞にも御母堂たる存在とは言い難い派手な風体で私を迎えた。

彼女は生き方そのものが少し風変わりで型にはまらない個性的で近所ではやや浮いた存在の敬虔なクリスチャンだった。

まぁ、貰い手の無い郵便物の行き着く先なんてこんなものなのだろう。
付添人の挨拶が交わされる間も、彼らが立ち去ったあとも抜け殻のように立ち澱む私の両手を彼女は手に取った。

ビクッとする私に、ほんの一瞬だが彼女の手から伝わる動揺。嫌悪されて当たり前だと私は理解していた。なんたって還付不能郵便物となった私の心や身体にはドット柄のように残る火傷の痕と、何度も剥がされた歪な爪が生え揃っている。

私はボンヤリと空を見上げた。
突き抜けるばかりの晴天だった。
いきなり私は強く彼女に引き寄せられ驚くほど優しく包容された。
見上げれば、彼女は轟音さながらに泣いていた。こんなにいい天気なのに。私の顔は彼女のキスと涙でグチャグチャだった。

それは彼女の孤独と慈愛が、私の心と共鳴した初めての瞬間だった。

✣✣✣

“人の手”に恐怖する私に触れる時、彼女は少しおどけた顔で「Can i pet you?」と、必ずそうたずねる。妙な声掛けに最初は戸惑ったけれど、その言葉が個性的な彼女らしい優しさに感じたから、次第に、それでイイと思うようになった。

ぎこちない顔のまま通い始めた学校。
私の醜い身体を当て玉に、クラスメートに苛められた日。帰ってすぐに閉じこもったトイレの壁を気が済むまで何度も殴り続けた。
ヘトヘトになって、トイレから出ると、
Can i pet you?
彼女はいつもの顔で、私の両手を優しく撫でながらその指を幸せそうに包んでくれた。
それだけで怖いものがなくなった気がした。

例年に見ない大雪の日。
あまりにも純白すぎる世界に圧倒され、私は生まれて初めて声を立てて笑った。
Can i pet you?
笑いながら私の頭を撫でる彼女の手が心地よくて彼女と気の済むまで笑った。
ニヤッと笑うキャサリンに空へ向けて抱きあげられたときは驚いて舌を噛みそうになったけれど、風に舞う雪が羽毛のように綺麗で儚くて最高の気分だった。

初めての旅行。
肌が露出する初めてのノースリーブ。 
Can i pet you?
臆病になる私の手を取り、私に似せて彫ったドット柄のド派手なタトゥーを見せびらかした。嘲笑う通行人に笑顔を振りまき、キレッキレのタンクトップで軽快に歩く彼女は太陽のように勇敢で、私の憧れとなった。
私は薄着の軽快さを知った。
沢山の経験をキャサリンは私に与えてくれた。

彼女との輝ける時間は私を豊かに成長させた。食器、ファッション、自転車も車も、部屋も彩り鮮やかに形を変えいつしか私も、心を許せる友ができ…初恋もした。

穏やかな夜。
夜になるとキャサリンは決まって私のベッドサイドで彼女自作の物語を話してくれる。
Can i pet you?
彼女に背中を優しく撫でてもらいながら夢現にその話を聞く。主人公は決まって私。
海へ山へジャングルへ私は世界を冒険する。
そんなキラキラした毎日が約束されているのだと彼女が私に言う頃には、私はいつもぐっすり眠りについていた。

未知への旅立ちの日。
諦めず挑戦し続けた舞台オーデションの採用通知が届いた。念願の夢が形になるチャンスが舞い込んだのだ。キャサリンと手を取り合い喜んだ、その夜は気の合う仲間と朝まで騒ぎ通した。その日を境に、私は独学から始めたレッスンにますます没頭した。私は、ひとり残されるキャサリンの孤独を考える暇も無く、スケジュールに追い立てられ旅立ちの日を迎える。
Can i pet you?
私の固くなる両肩を優しく撫でながら、彼女が誇らしげに笑う。友の車に乗り込み、窓から出した私の顔中に彼女は隙間なくキスをした。走り出した車の後方でせいいっぱい手を降る彼女の姿と住みなれた我家が小さく遠ざかって見えなくなった。
 
新しい世界。

誰も私に
Can i pet you?
とは聞かない。
キャサリンとの距離は遠くなり、日々のメールで彼女の笑顔を曖昧に確認した。
それだけで事足りた。
毎日が充足し、満ち足りていた。
私は大人の恋を知り愛を覚え、母親となった。
幼い頃には描けなかった今があった。
体内で育む命の重さを実感した。
産まれる輝く命の美しさに感動し、触れる感動を知った。
Can i pet you?
我が子にたずね、その頬をなでた。
その時初めて、私はキャサリンの愛を自らの中に体感した。

帰郷。
昨夜キャサリンの危篤を知らせるメールが届いた。ありえないと私は激怒した。昨夜も、その前も楽しい毎日だと彼女の陽気な写真が届いていたのだから。

彼女を知る友が私に詳細を話してくれた。私に心配をかけまいとする彼女の必死の演出だったのだ。
私の前で彼女は、真の舞台女優だった。

Can i pet you?

ベッドに横たわる彼女は溢れるように破顔し、私に弱々しく手を伸ばす。
白くなった髪、こけた頬、筋張った指先。
何もかもが変わっていながら、私に触れる優しさはあの頃のまま。

彼女に撫でられるまま私は号泣した。
私が泣きやむその時まで彼女は私の肩を撫でながら懐かしい鼻歌を歌っていた。私の泣き晴らした顔を見つめ静かに笑った。
「疲れたでしょう。明日また、会いに来て」
と、うなだれる私に帰るよう促した。

その夜。彼女は独りで旅立ってしまった。
胸に抱いた幼い日の私の写真の裏には『愛しい子「Can i pet you?」あなたが我が子を愛しく撫でるとき、どうか私との時間をおもいだして』と遺して。

「Can i pet you?」
“あなたに触れてもいいですか?”

私は震える声で彼女に尋ねると、眠る彼女の頬をそっと、撫でた。

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上の作品は、創作を楽しむ内々の催し、
テーマ(ペット)の作品募集で以前投稿した作品です。

物語は、十代の私を育ててくれた叔母がモデルとなっています。この十代の私の経験が心の中で形を変え、長い時間を得た先で我が家の子どもたちを始め、顔も知らない誰かの心へと届けることができる、そんな不思議な感覚を体感した瞬間でした。

心や想いと言うものは目には見えないものですが、
何かしら尊いもので、とても繊細で強い。
その熱量を伝え、届けることで、
その日の感動が永遠に息づくものに変わるのかしらと、物思いに耽る私がいたりします。

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